READYMADE

これが、西洋美術史の連綿と続いてきた文脈の延長線上に存在していますように。

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今後も実践あるのみ。

 

キャンバスの木枠に打ち付ける前の姿。

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木枠に衣服を打ち付ける発想はそれこそ10年もので、実行に移したのは今回で二度目。

一度目は、確か2010年に先輩の結婚祝いでつくったもので、手元には画像すら無い。

そのときは白いTeeを打ち付けて、プリントを施したものだった。

 

以上、春分の日の余談。

 

追記(2019/03/22 0:52)

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入れ忘れていたサインを追加。

このブログを始めて今日でまる五年である。

五周年が経ったからといって特に変わりなく。

相変わらず鞄は主にこの二つを使っているし。

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今も変わらず、二着のジャケットからパンツをつくろうとしている最中だし。

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何はともあれ、これから六年目。

引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。

複雑なタイトルをここに

何かを予約して購入したのはいつぶりだろう。

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すぐに思い浮かんだことは、小学生の頃にミニ四駆を予約して買ったこと。

それくらい予約購入は久しぶり。

 

さて、今日届いたこの本を開くため、ここでこの記事を終えることにしよう。

内容が、とても楽しみだ。

 

久々に文章を書きたくなった。

それは、卒業式帰りと思しき親子連れを見かけ、卒業文集のことでも思い出したからだろうか。

文集のごとくつらつらとしたためよう。

 

卒業文集。

小学校を卒業する少し前、担任の先生に卒業文集の裏表紙に使う校舎の絵を描くように言われた。

名指しで依頼を受け、つくったものが多くの人に渡るという意味では、この出来事はぼくにとって意義深いものとなってもよいはずだった。

しかしながら、当時のぼくは、放課後に描かねばならないことを面倒に思っていた。

それでも描き上げたその卒業文集は自室のどこかにあるはずだが、見つからない。

コピーさせてもらうべく、誰か持っていないか同級生にきいてみよう。

 

そういえば、オードリーの若林さんがラジオでこんなことをおっしゃっていた。

正確な文言は異なるが、主旨は「何か事件を起こしてしくじる人は、それを起こす前から心がしくじっている」とのことだった。

そう、あのときの自分が卒業文集に関するあれこれを蔑ろにしていたからこそ、今、自室のどこにあるかもわからないのだろう。

自らを省みるに、今も「心がしくじっている」状態のままだとも思う。

現状を打開し、よりよい未来を切り開くためには、自分を変えなければいけない。

 

そんな自分であるが、今年も変わらず花粉症である。

今年は初めて服薬だけでなく点鼻薬も使用しているおかげで、例年に比べて非常に楽に感じる。

薬のような外的要因で、人は変わることができる。

そんな外的要因となるような出逢いをこの春に期待したい。

 

他力本願。

まずはこの考えを変えるべきなのだろう。

とはいえ、変えてはいけないこと、初心のように忘れてはいけないこともある。

変えずに守っていくべきことを見誤らずに、革新の姿勢を崩さず、この春を過ごす。

こんな独りよがりな意思表示とともにこの記事を終えることにしよう。